読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

柳の木の下でブランコを漕ぐ

俳優窪田正孝さんを楽しむ私の隠れ家

『東京喰種トーキョーグール』2巻を読む

『東京喰種トーキョーグール』 原作購読

 

2巻では、カネキが喫茶店「あんていく」でアルバイトを始め、喰種としての生活をスタートさせる。 ウタさんが「ぼくらが人間社会に溶け込むのなんて、言っちゃえば "終わりのない綱渡り" みたいなもんでさ……」と言うように、喰種たちがいかに苦労をしながら人間に紛れて生活しているのかを読者はカネキ目線で知ることになる。

 

f:id:yanabura:20160907023445j:plain*1

 

喰種=虫

喰種は、赫子(かぐね)の見た目や匂い(フェロモン?)への反応から虫の化身のような特徴を持っているが、真戸が発する喰種への言葉にも虫に関する表現が頻出する。

「飛んで火にいる何とやら……」

「羽虫が自ら蜘蛛の網に引っ掛かりおったな」

「母が子のため命を捨てる……クク……虫酸が走るよ*2

「所詮、小虫……。遠くへは行けないさ」

こうやって並べてみると、虫に対する人間の言葉はかなり辛辣だ。「虫」を使った褒め言葉が思いつかない。

 

突如発動されるカネキ=ネコ=窪田正孝という設定

「喰種=虫」の関係が現れる一方で、2巻のカネキは突然なぜか猫になる(たぶん2巻だけ?)。「猫といえば窪田正孝」なので、関連させて読まずにはいられない。

例えば、つぎの場面。カネキが淹れたカプチーノをヒデに持っていくが、デザインカプチーノにはネコの絵が。

f:id:yanabura:20160825015206j:plain*3

 

つぎの場面では、カネキは理不尽にもトーカに「ニャーニャーうるさい」と怒られる。

f:id:yanabura:20160904165632j:plain*4

 

ヒデ

この物語のなかでヒデはかなり重要な人物だ。原作の中でもまだヒデは謎に包まれているので、細かく見ておきたい。

f:id:yanabura:20160904165851j:plain*5

この場面、ヒデは明らかに何かに気づいている。カプチーノをトーカではなくカネキが淹れたこと? それとも近江という名の喰種に狙われていること?(実際この後ヒデは近江に追われるが逃げきる。) その両方かもしれない。

「ヒデは変な所で勘が鋭くて、いつも一歩先で僕を気遣ってくれる」とカネキが言うように、ヒデは作品の中でも鋭い推理を披露する。だからこそ、ヒデの表情は細かい変化を観察してみても、一体どこまで何を知っているのかがこちらには分からず、不安な気持ちにさせられる。ふとした瞬間の寂しそうなヒデの表情を見てしまうと、ヒデがつり目がちに笑ってしゃべっているときの方が嘘なのではないかという気さえしてくる。*6

 

喰種の定義

"喰種" 対策法12条1項「赫眼および赫子の発生が確認された対象者を第Ⅰ種特別警戒対象 別称 "喰種" と判別する」この定義によると、カネキは正真正銘 "喰種" ということになる。 

 

ウタさんの首の刺青

この巻でマスク職人のウタさん登場。首に彫られたラテン語の文字は、マルティアリス『エピグランマタ』のなかの一節(12.47)だそうだ。意味は「私はあなたとともに生きてはいけない、私はあなたなしでは生きていけない」(12巻ではウタ自身が刺青の文字の意味をカネキに説明する場面がある)。*7

この詩には直前にももう一文あって、全体ではこのような詩になっている。喰種と人間との関係について語っているようにも読める? 

同じ一人のお前が気難しいかと思えば容易に言うことをきき、

   愉しそうにしているかと思えば苦虫を噛みつぶしたよう。

わたしはお前といっしょにも、お前なしでも、暮らせない。*8

 

XLVII. ON A FRIEND.

You are at once morose and agreeable, pleasing and repulsive. I can neither live with you, nor without you.*9

  

胸のなかの "松明"

「君のその火は正しき世界を求める者には必ず燃え広がってゆくだろう。要は胸の内に "松明" を持っているかどうかだ。火を灯すためのね」と真戸が亜門にかける場面。

f:id:yanabura:20160904190548j:plain*10

この "松明" という表現、個人的には、コーマック・マッカーシーの小説『ザ・ロード』に登場する「火を運ぶ  "carry the fire"」という表現を想起する。

ザ・ロードは、詳細不明の災いに見舞われた世界を舞台に、父と子が南へと移動する物語だ。生き残った人間たちの多くは、生き残るために人を襲って食べている(他の動植物がいないほどに荒廃しているため)。そのような状況のなか、父と子は「自分たちは人を食べない。なぜなら火を運んでいるから」と次のように語り合う。

パパの顔を見るんだ。

少年は彼に顔を向けた。今まで泣いていたように見えた。

話してごらん。

ぼくたちは誰も食べないよね?

ああ。もちろんだ。

飢えてもだよね?

もう飢えてるじゃないか。

さっきは違うことをいったよ。

さっきは死なないっていったんだ。飢えてないとはいってない。

それでもやらないんだね?

ああ。やらない。

どんなことがあっても。

そう。どんなことがあっても。

ぼくらは善い者だから。

そう。

火を運んでるから。

火を運んでるから。そうだ。

わかった。*11

 

また別の場面では、死を目前にした父親がつぎのように息子に語りかける。

パパと一緒にいたいよ。

それは無理だ。

お願いだから。

駄目だ。お前は火を運ばなきゃいけない。

どうやったらいいかわからないよ。

いやわかるはずだ。

ほんとにあるの? その火って?

あるんだ。

どこにあるの? どこにあるのかぼくは知らないよ。

いや知ってる。それはお前の中にある。前からずっとあった。パパには見える。*12

 

「人を喰う」という設定が重なっているだけではなく、「火」がいずれの作品でも「人間らしさや人間としての正しいあり方(具体的には「人を喰う者がいてはならない」と思う気持ち)」の象徴として使われている点も共通している。真戸と亜門の関係は父と子のような関係にも見えるし、最後に父親が死ぬという点も共通していて、この小説が関係しているように思えてならない。

 

「だから僕はちゃんと自分の目で見てからどうするか決めます!」

「人が死ぬのも"喰種"が死ぬのも それが僕の知っている人だったら耐えられない」

「それが僕の知っている人だったら」というのがポイントだなと思う。この作品でくり返されるメッセージだけど、世の中の問題はたいてい「相手を知らない」ことで生じるし、「相手を知らない」からこそ問題が悪化する。"喰種" も "人間" も相手を知らないからこそ簡単にお互いを殺すことができる。

反対に、食料として生き物を摂取するときには「相手を知らない」ことがむしろ重要になる。角砂糖型の人肉というのはまさに知らないままでいるためには有効な方法だ。私だって個々の牛や豚、魚について深く知ったなら、食べることはできなくなるかもしれない。この点 "喰種" の立場は辛いだろうな。普段共に生活し、意思疎通が図れる "人間" の命を奪わなければいけないのだから。

 

『東京喰種トーキョーグール』3巻を読むにつづく

*1:Photo By wildfires

*2:「虫酸」自体は胃内の酸敗液を指すが、表現の成り立ちには虫が関係しているようだ。「昔は人間の体の中に実体の無い虫が存在して、この虫が悪さをして人間の不快感等を引き起こしていると考えられていたようです。『腹の虫』『虫の知らせ』『虫がおさまらない』などの言葉もここから来ています。」引用元:虫酸が走るの虫酸ってどう言う語源なのでしょうか? - 虫酸が走るの「虫酸... - Yahoo!知恵袋(2016年9月4日アクセス)

*3:石田スイ『東京喰種トーキョーグール』2巻(デジタル版, 位置No. 16/208)東京:集英社より引用

*4:石田スイ『東京喰種トーキョーグール』2巻(デジタル版, 位置No. 30/208)東京:集英社より引用

*5:石田スイ『東京喰種トーキョーグール』2巻(デジタル版, 位置No. 18/208)東京:集英社より引用

*6:おそらくこんな風に考えてしまうのは、ヒデに関するいろいろな説を知ってしまったからと、カネキが嘘をつくときの癖をヒデが知ってることに原因があるように思う。何度も読んでいると、反対にヒデが嘘をついているときの仕草や表情が作中に既に登場しているのではないかという気がしてしまう。嘘なんかついていないのが一番だけど。

*7:このサイトでもウタさんの刺青について質問をしている方がいる。皆気になっているんだな。Nec tecum possum vivere, nec sine te. | 山下太郎のラテン語入門

*8:藤井昇訳『マールティアーリスのエピグランマタ(下)』(p. 253)東京:慶應義塾大学言語文化研究所 より引用

*9:Martial, Epigrams. Book 12. Mainly from Bohn's Classical Library (1897) より引用(2016年9月4日アクセス)

*10:石田スイ『東京喰種トーキョーグール』2巻(デジタル版, 位置No. 88/208)東京:集英社より引用)

*11:コーマック・マッカーシー(黒原敏行訳)『ザ・ロード』(pp. 114-115)東京:早川書房 より引用

*12:コーマック・マッカーシー(黒原敏行訳)『ザ・ロード』(pp. 252-253)東京:早川書房 より引用

『東京喰種トーキョーグール』1巻を読んだ③

『東京喰種トーキョーグール』

少し前に『東京喰種』の原作は『東京喰種:re』も含めて刊行されているものはすべて読んでしまったんですが、相変わらずこのペースで1巻に戻ります。

それにしても読めば読むほどカネキ役は窪田くんにぴったりですね。もはや窪田くんにしか見えない。それでいて物語はハッピーには進まないので気持ちとしては複雑なのですが。

後半は魅力的な登場人物がどんどん登場し、アクションやバトルシーンのオンパレードで正直まだ何が起こったのか物語の整理が追いついていません(映画ではバトルシーンはどうやって描くんだろうか……)。映画公開まで時間があるので、ゆっくり原作を振り返りつつ楽しみたいと思います。

+++++

 

ヒデ「カネキなんかあっという間に喰われるだろーな」

カネキ「僕が "喰種" ならヒデはとっくに死んでると思うよ」

まだカネキが半喰種になっていないときの喫茶店「あんていく」での会話。実際にはこのふたりの予想は覆されることになる。ただしとても悲しいかたちで。『東京喰種:re』最新刊まで読んでから1巻に戻ってみると、このやりとりはとても切ない。

 

揺らぐ "喰種" と "人間" の境界

『東京喰種』には "人間" と "喰種" のふたつの人種(?)が登場する。その描き分けでまず気づくのは吹き出しの色だろう。人間の言葉は黒い文字で、喰種の言葉は白抜きで描かれる。例えば、その区別がもっともはっきり現れている1コマがカネキが自らの境遇に絶望し移植された臓器を取り出そうとする場面だ。

f:id:yanabura:20160710013037j:plain*1

見開き2ページにわたって描かれるこのコマは鬼気迫るものがある。ここでは「人間に戻ろうとする "人間" としてのカネキ」(黒文字)と「それを許さない "喰種" としてのカネキ」(白抜き)との闘いが視覚的にも分かる形で表現される。「ド」が黒文字で「ん」が白抜きという順番にも納得できるし、カタカナとひらがなの混在も異質なもののぶつかり合いを強調している。  

ただ、喰種が発する言葉がすべて白抜きになるかというとそうではない。喰種たちが普段は人間に紛れて生活しているように、彼らが発する言葉も普段は人間と変わらない形で表現され、人間の世界に紛れ込む。もちろん喰種の言葉が最初から白抜きで出てきたなら誰が喰種であるかがすぐに読者にわかってしまう、それは避けなければいけない、というような配慮もあるのだろう。けれど、どのような理由にせよ、喰種たちが常に白抜き文字で言葉を発しないことは、"人間" か "喰種" かという区別が一見すると個体(キャラクター)ごとに決まっているように見えて、実はその境界がすでに揺れていることを暗示している。実際、作品が進むにつれて "人間" か "喰種"かの境界は曖昧になり、『東京喰種: re』に入るとその境界はよりいっそう不確かなものになっていく。

漫画では吹き出しで描き分けを行っているが、同じ部分をアニメでは薄い赤いもやのようなものを描くことで演出していた。映画ではどのように描かれるだろうか。個人的には、赤くなった "喰種" の目に世界はどのように映っているのだろう、という点が気になっている。

 

ヒトではない自分、ヒトからは理解されない自分に気づくとき

ナイフで自分の体を刺した後、カネキはその思いが叶わないとわかって絶望する。このまま生きていくためにはいつかヒトを食べなければいけない、それをしてしまったら自分はもうヒトではないかもしれない。この場面には胸が締めつけられる。

f:id:yanabura:20160710014316j:plain*2

 

私はそんなに漫画に詳しくないのだけれど、この場面を読んだとき、ある別の漫画の1コマが頭に浮かんだ。古谷実*3ヒメアノ〜ル』6巻の見開き2ページに渡る1コマだ。

f:id:yanabura:20160710014310j:plain*4

 

このシーンは、森田という主人公の幼馴染が自分が人間を殺すことに快楽を感じていることに気づいて絶望する場面。そうなりたくてなったわけではない、けれど自分は絶対に社会からは受け入れられない異常性を抱えて生まれてきてしまった。そんな森田の悲しみや孤独が、この全身で泣いているシーンからは(穏やかな山の風景との対比もあって)痛いほど伝わってくる。自分の意思とは関係なく半喰種になってしまったカネキの絶望とも重なる。

 

カネキとヒデ

f:id:yanabura:20160805001938j:plain*5

(カネキを窪田くんが演じることになったからこそ感じるのだけど、)このヒデとカネキの1コマは、私はどうしても『ケータイ捜査官7』のケイタとタツローの関係を思い起こさずにはいられない。

f:id:yanabura:20160805110951p:plain*6

 

虫、鳥、卵から生まれるものたち

1巻の最後で店長がカネキに言葉をかける場面。この場面でトーカが蝶に向かって手を伸ばし、蝶が指にとまる場面が描かれる。

f:id:yanabura:20160805002011j:plain*7

ここでも表現されているように、喰種は赫子(かぐね)の見た目からしてもどこか虫の化身のような特徴を持っている。喰種捜査官たちが喰種たちから「白鳩」と呼ばれているのも、虫を捕食する鳥というイメージと結びつきやすい。

ただ、2巻に入ると喰種の側に「梟」が出てくるのでよくわからなくなる。あと、虫も鳥も卵から生まれることは共通しているな、などと思ったり。

つぎは2巻へ。

yanabura.hatenablog.jp

*1:石田スイ『東京喰種トーキョーグール』1巻(デジタル版, 位置No. 95-96/225)東京:集英社より引用

*2:石田スイ『東京喰種トーキョーグール』1巻(デジタル版, 位置No. 98/225)東京:集英社より引用

*3:このブログで書く機会はないと思いますが、私は古谷実さんの漫画の大ファンです。ギャグ要素を使ってあらゆる突拍子もない可能性に果敢に挑んでいる方として心から尊敬しています。『ゲラクシス』もこれからの展開が楽しみ。

*4:古谷実ヒメアノ〜ル』6巻(デジタル版, 位置No. 180-181/187)東京:講談社より引用

*5:石田スイ『東京喰種トーキョーグール』1巻(デジタル版, 位置No. 156/225)東京:集英社より引用

*6:©WiZ・Production I.G・バディ携帯プロジェクトLLP/テレビ東京ケータイ捜査官7』, DVD File 10, Episode 36「ともだち」より引用

*7:石田スイ『東京喰種トーキョーグール』1巻(デジタル版, 位置No. 218/225)東京:集英社より引用

映画『東京喰種トーキョーグール』の萩原健太郎監督ってどんな方?

『東京喰種トーキョーグール』

映画『東京喰種トーキョーグール』(以下『東京喰種』)の撮影がスタートしています。

すでに目撃情報があるようですが、この暑い時期に大変な撮影になるでしょう。良い作品に仕上がるよう、撮影が順調に進むことを祈っています。

 ***

この作品の監督を務められるは萩原健太郎さん。これまで主にCMや短編映画を撮っている方で、長編作品は『東京喰種』が初めてということになるようです。私は『東京喰種』のニュースをきっかけにお名前をはじめて知ったのですが、下のサイトで萩原監督のこれまでの作品が見られるので、さっそく見てみました。*1

THE DIRECTORS GUILD | 萩原 健太郎

このサイトでは35作品が紹介されていて、萩原監督のほとんどの作品が見られるのではないかと思います。多くはCMで、他にも在日ファンクや乃木坂46のミュージックビデオなども制作されています。*2 ちなみに今年は窪田くんが起用された資生堂スノービューティーのショートムービーですが、昨年のショートムービーは萩原健太郎さんが監督をしていました(主演は二階堂ふみ星野源)。


ショートムービー『資生堂マキアージュ Snow Beauty』本編映像

萩原監督作品を見てみて、私が萩原監督の特徴が表れているのかなと思った作品はつぎのCMと短編映画です。これらの作品は萩原監督が脚本も担当されているようで、そのほとんどが家族や友人、恋人など人間関係に焦点を当てています。(家族モノが弱い方は要注意!)

  •  フレンドシッププロジェクト2015 第一話, Client SEIKO
  •  フレンドシッププロジェクト2015 第二話, Client Microsoft
  •  フレンドシッププロジェクト2015 第三話, Client BANDAI  
  •  フレンドシッププロジェクト2014 第一話, Client JAL
  •  フレンドシッププロジェクト2014 第二話, Client みつばち保険
  •  フレンドシッププロジェクト2014 第三話, Client 龍角散
  •  レイコップ『夫の返信』, Client レイコップ

  •  レイコップ『息子の部屋』, Client レイコップ

  • 短編映画 『café イーハトーブ −いわての くにの ものがたり−』(「いわての県産品販売促進事業」のプロモーションムービー)

    www.youtube.com

  • 短編映画 "Super Star"

 

これらの作品を見てみると、どの作品も正直なところ『東京喰種』とは全くジャンルが異なるのですが、なるほど、萩原監督が大切にされているものと『東京喰種』が描いているものには共通点があるように感じました。二つの点からまとめてみたいと思います(今回の記事では一つ目だけ扱います)。

 

f:id:yanabura:20160727211744p:plain*3

 

多面的な出来事描写、多面的なキャラクター描写

 

萩原監督は映画作りにおいてキャラクターを掘り下げてどのように多面的に見せるか…という事が重要だと語る。「好きな映画を思い返してみると、どれもキャラクターが魅力的ですよね。観る人によって主人公の見え方が違うはずですから、より客観的に色んな面を見せる事を考えています」*4

 

ある出来事は人によってそれぞれに解釈され受け止められるし、ある人物は見る人によって人物像が変わる。当たり前のように思われることだが、萩原監督の作品はそのような事実を映像を通して私たちに体験させる。

まず、どの作品にも共通するのは、ある出来事を別々の人物の視点から描くこと、それによって出来事を多面的に描写することだ。萩原監督作品は同じ場所・時間を共有する(あるいは共有していた)人物たちがそれぞれに感じ受け止めている様を丁寧に描く。

例えば、『フレンドシッププロジェクト2015』は「東京で写真がやりたい」と言って上京を決断する息子の物語を、息子(第一話)、父親(第二話)、母親(第三話)のそれぞれの視点から描いている。一連の出来事があるひとりの人物(例えば息子)の視点からのみ描かれるのではなく、父親や母親の視点をバランスよく取り入れ、かつそれぞれの視点に共感できるように物語を構成している。観客は同じ出来事を別の視点から見ることによって、それまで見ていた世界はひとつの見方に過ぎなかったのだと自覚させられ、出来事の多面的な姿に出会うことができるのだ。

短編映画『スーパースター』は大好きな韓流スターのファンミーティングのためソウルにやってきたのに寝坊してしまった追っかけ女性(櫻井淳子)の物語だ。日本語と韓国語で進行するため、韓国語がわからない者にとっては目に入る文字や聞こえてくる音声が刺激としては目や耳に入ってきたとしても、それが一体何を表すのかは理解できないという仕掛けが施されている。物語の途中で主人公が大きな挫折を味わうのだが、その前と後とではソウルの街並みの写り方ががらりと変わる。それまでせかせかと忙しなく映っていたソウルの街が、ラストではソウルの夜景がゆったりと美しく見えるのだ。

『東京喰種』では "人間" と "喰種" という二つの立場が登場し、それぞれの正しさ・正義が衝突する。"人間" にとって美味しそうなご馳走が "喰種" にとっては吐き気を起こさせるものになる。そのような相反する世界の見方を映像を通して提示し、「何が正しいのだろう?」と観客に突きつける。それは萩原監督が得意とする演出なのではないかと思う。主人公のカネキが "人間" と "喰種" 両者の正義を理解しようとして苦しむように、映像を通して観客にもそのような体験をさせることができるかが鍵になりそうだ。

 

つづく

 

*1:作品を見るにはメールで申請をして、パスワードを教えてもらう必要があります。一般人の私でもパスワードを送ってもらえました。

*2:2014年の萩原健太郎監督のミュージックドラマ『FAKE』はこのサイトからは見られず、UULAという動画配信サイトで視聴可能です。私はまだ未視聴。

*3:©萩原健太郎監督『café イーハトーブ −いわての くにの ものがたり−』より

*4:監督 萩原健太郎, 2016年7月25日アクセス

スノービューティー2016『逆さに降る雪』が大好評、7/31の『おしゃれイズム』はお見逃しなく!

CM

 

f:id:yanabura:20160727145638p:plain*1

 

スノービューティー2016『逆さに降る雪』が大好評のようで、公開1週間後の7月14日(木)の時点で総再生回数50万回を突破したそうです。*2

また、7月31日(日)放送の「おしゃれイズム」(日本テレビ系)では、60秒のスペシャルCMが放送されます。たった一度しか流れないので、録画など忘れないようにしなくては!

 

特に注目は、中盤での二階堂さんが窪田さんの頬に触れるシーン。ショートムービーでは、2人を同時に映した全景の映像のみでしたが、スペシャルCMでは2人のそれぞれの視点から見た映像も含まれています。この2人の視点からの映像は、公開後にもSNS上で「見てみたい」との声が多く上がっていたものでした。*3

 

しかも、今回のスペシャルCMには未公開映像が含まれているそうですが、それがなんとユきがシローの頬に触れるシーンのそれぞれの視点からの映像とのこと。ほっぺたを挟まれてるシローさんの映像も見られるのかしら。楽しみです。

それにしてもSNSで「こんなシーンがみたい!」「この角度から映像が見たい!」って声をあげるのは結構影響があるんですね。最近ではSNSでの声をまとめて載せている記事(むしろそれがメインの記事)も多い気がします。

さらに、東京都内では、7月25日(月)から7月31日(日)の期間、東京都内の主要駅 (東京駅、渋谷駅、新宿駅、新橋駅、池袋駅)では『逆さに降る雪』のスペシャルポスターが貼られ、電車内では『逆さに降る雪』の告知映像が流れています。 

 

 

このように並べるとまさに圧巻! 東京中に『逆さに降る雪』の世界が広がっているようで涼しげですね。 

 

化粧品店やドラッグストアなどでは『逆さに降る雪』のチラシを配布しています。A5サイズのかわいいチラシで、紙質や印刷もこの作品の雰囲気にとっても合っています。チラシの表面と裏面の画像を下のサイトから見ることができます。

資生堂SnowBeauty2016『逆さに降る雪』公開![二階堂ふみ] | ニュース | Sony Music Artists

 

最後に『逆さに降る雪』のプレスリリースやウェブサイトの記事を改めてまとめておきます。インタビュー時の窪田くんと二階堂ふみさんの写真が素敵です。

prtimes.jp

prtimes.jp

tv-dmenu.jp

 

【7月30日追記】 

スノービューティー関連ではこんなキャンペーンもやっているそうです。応募方法などは下のツイートを参照してください。

心を映すシロー(窪田正孝)のまばたき:資生堂スノービューティー2016『逆さに降る雪』を鑑賞する②

CM


スノービューティー2016 『逆さに降る雪』|資生堂

スノードームの世界の住人であるシローはユキの幸せを想って、別れを告げる。「あなたなら大丈夫。さようなら」に込められたシローの心境は複雑だ。ユキを勇気づけ、現実世界に帰したいが、別れは寂しい。この複雑な心情とその変化を窪田正孝はまばたきを使って表現している。

一般的に演技指導の際にはまばたきはできる限り少なくすることがよいとされる(らしい)。別の人格を演じるにあたって、役者自身が抱える緊張や不安、戸惑いがまばたきとして現れてしまうと、白けた演技に見えてしまうからだ。実際『逆さに降る雪』のなかでユキを演じる二階堂ふみの瞬きはかなり少ない。役者がまばたきをする際には、まばたきをコントロールして役の表現として使うのだ。

『逆さに降る雪』でのシローの演技では、窪田正孝は今までの他の役と比べて多くまばたきをしているように感じる。これは顔がアップに映る特定の場面において、意図的にまばたきをたくさん入れているからこそ際立って感じられるのだが、それによってシローの複雑な心情の変化を巧みに表現している。

シローの演技のなかで窪田正孝はまばたきを区切りとして表情を変える。例えば、黄色く塗られた夏の窓を見上げながらユキが現実を思い出した後のシローの表情。このカットでシローは一度まばたきをする。まばたきの前後の表情は以下の通りだ。まばたきを境に視線の向きが上から下へと大きく変化し、表情が変わる。

(自分で実際にやってみて気づくのですが、まばたきによって視線の向きを変えるのは結構難しい。それだけをやる分にはできないこともないのだけれど、演じる際には他にも意識すべきことはたくさんあるだろう。)

f:id:yanabura:20160722003435p:plain*1

f:id:yanabura:20160722003458p:plain*2

まばたきのタイミングで表情ががらりと変化すると、観ている者はその変化を追体験し、切ない気分にさせられる。*3

次に注目したいのは「あなたなら大丈夫。さようなら」の後の表情。この部分で窪田正孝はゆったりと3回まばたきをする(意識的でなければこんなゆったりとはまばたきできないだろう)。まばたきの前後の表情を切り取ると以下の通りになる。それぞれのまばたきを区切りとして細かく視線の角度や目の開き具合を変え、段階的に悲しみ・寂しさのトーンを高めている。まるでシャッターを切るかのように、カメラに映る窪田正孝はまばたきをするごとに表情が変化する。

f:id:yanabura:20160721022402p:plain*4

f:id:yanabura:20160721024548p:plain*5

f:id:yanabura:20160721022419p:plain*6

f:id:yanabura:20160721022434p:plain*7

ツイッターを見ていると、この二つの場面の窪田正孝の表情に注目している方が多いように思うが、その背景にはこのようなまばたきを使った繊細な心情表現が影響しているのではないかと思う。

最後に注目したいのは、ユキがシローの頰に触れる場面。このショートムービーのなかで唯一ふたりの肌と肌とが触れ合うラブシーンと言ってもいい場面だ。

この場面では、ユキの手が自分の頰に触れるのを感じると、シローはパチパチと細かくまばたきをする。表情がアップになる場面のため、このまばたきはかなり目立つし、全くまばたきをしないユキとは対照的だ。それまでのシローには見られなかったまばたきの多さだということを踏まえると、ここでも役の表現としてまばたきが挿入されていると考えるべきだろう。

まばたきは緊張や驚き、戸惑いなどを表す。このまばたきを通して、観ている者はシローの身に思いもよらないことが起きたのだというドキドキ感、その緊張や戸惑いを感じることができる。

ただ、一般的なラブストーリーでは、そういう描写はヒロインの側で描くのではないか。このショートムービーに登場するシローは男性だがどこか中性的な雰囲気、可愛らしさを持つ青年という印象が強い。声もとても柔らかい。そのような印象を決めているのも、頰を触れられたとき、そして最後に向かい合ってダンスする際のまばたきの表現にあるのかもしれない。

 

関連記事:

yanabura.hatenablog.jp

 

*1:©資生堂『逆さに降る雪』より引用

*2:©資生堂『逆さに降る雪』より引用

*3:自分用メモ:どうしてだろう? 役者のまばたきが観客に与える影響については別の機会にゆっくり考えてみたい。

*4:©資生堂『逆さに降る雪』より引用

*5:©資生堂『逆さに降る雪』より引用

*6:©資生堂『逆さに降る雪』より引用

*7:©資生堂『逆さに降る雪』より引用